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 「カルシファー、いいわよ」
 ソフィーは階段を中ほどまで降りてきて、カルシファーに言った。
カルシファーが面倒くさそうに一つあくびをして、体を震わせると、地震が起きたかのように家が揺れた。
ソフィーは転ばないように気をつけながら、再び城の中庭に出る。すると今しがた、城が地面から浮き上がった
ところだった。ヒンがソフィーの足元で蹲っている。
 「うーん、いい天気!」
 しばらくすると、城は気持ちよい風を受けながらヒースの丘高く上った。
ソフィーは今干したばかりの、家族四人分の洗濯物を見上げる。そよそよと風になびいて、洗剤の爽やかな香りが漂ってきた。
 「さて」
 ソフィーはヒンを抱きかかえて家の中に戻る。
 「ヒン、マルクルを起こしてきて頂戴」
 ヒンがマルクルの部屋のほうへ駆けて行くのを見送って、ソフィーは反対側へ歩き出した。
廊下の突き当たり、この城の城主の部屋。ソフィーはドアをノックすると、返事を聞かずにドアを開けた。
 「ハウル、早く起きなさい! アサガオを運ぶって約束したじゃない」
 ハウルは眠たそうに唸りながら、ソフィーの代わりに枕を抱いて、もぞもぞと布団の中にもぐりこんだ。
 「まだ眠い……」
 「遅くまで本を読んでいたのは誰? まったく、三十路近くなって寝不足なんて、自己管理ってものができないの?」
 ハウルは観念したようで、枕を抱きかかえながら起き上がった。それでもまだ、目はとろんとして眠たげだった。
その目をソフィーに向け、恨みがましく口を尖らす。
 「君のノドには猛毒のトリカブトでも咲いてるんじゃないだろうね? こんな勤勉な僕に、朝っぱらから毒を吐きかけるなんて」
 ソフィーはそんなハウルの腕から枕を取り上げて、布団を引っぺがした。
 「早く起きて着替える! 花畑からアサガオの鉢を店に運ぶ! 朝ごはんを食べる! そしたらトリカブトも枯れるでしょうね」
 ソフィーがまくし立てるのを、顔をしかめて聞いて、ハウルは「うへ〜い」とだらしない返事をした。
ソフィーはハウルのクローゼットから適当な一そろいを引っ張り出して、ベッドの上で胡坐をかいてあくびをしている
ハウルの膝に投げ落とした。それを見て、ハウルはしかめっ面をした。
 「ええ、これ着るの? 三日前に着たばかりじゃない」
 ソフィーは回りに散らばっていたタオルやシャツを拾い上げて(大概、ハウルが脱ぎ散らかしたものだ)、「また洗濯
しなくちゃ」と小言をもらし、ドアノブに手をかけた。ドアを開けて振り向きざまに言う。
 「文句があるなら自分で選んだら? ご飯作ってるから、出来上がるまでにアサガオを運んでよ」
 ソフィーの出て行ったドアをしばらく呆然と見つめて、ハウルは頭を掻いた。人差し指には、誓いの指輪。寝癖のついた黒髪が、
たらりと垂れる。
 「はいはい、僕の可愛いご主人様」
 その口元は、穏やかに微笑んでいた。









 居間にはベーコンを焼いた香ばしい匂いが漂っている。マルクルは食卓についているものの、ヒンを膝に乗せて、まだ眠そうに
うつらうつらしている。荒地の魔女はソフィーから貰った杖を頼りに、暖炉の側でカルシファーに薪をくべてやっていた。
 ソフィーが四つの皿を器用に腕に乗せ、キッチンから出てきた。その時ドアが開いて、店からハウルが入ってきた。
髪を後ろでおざなりに結って、手には軍手、長靴を履いている。腕で額の汗をぬぐうと、
 「お水!」
 と叫んで、長靴と軍手を脱ぎ捨てると、髪を解いて食卓についた。ソフィーはコップに水を注いで、ハウルに差し出す。
 「ありがとう、お疲れ様」
 ソフィーが見ている横で、コップの水を一気に飲み干すと、ソフィーにへらりとした笑顔を向けた。
 「とっても綺麗に咲いていたんだ。君の世話が上手いんだねぇ」
 ソフィーはハウルにタオルを渡しながら言う。
 「あたしだけじゃあ、あんなに綺麗に咲かないわ。ハウルの魔法のおかげ」
 ハウルはタオルで汗を拭うと、乱れた髪に手ぐしを通す。
 「やっぱりアレだね」
 「何?」
 「何って、奥さん、愛だよ。愛!」
 ソフィーは一瞬ぽかんとしてから、顔が真っ赤になった。ハウルの手からタオルを取り上げると、それでハウルを思いっきり
叩いた。
 「もう、朝っぱらから何言ってんのよ! ばかっ」
 ソフィーは逃げるようにキッチンへ駆け込んでいった。ハウルはソフィーを物欲しそうに見送りながら、首をかしげた。
 「ばか……って」
 荒地の魔女が言う。
 「あの子はあの子で嬉しいんだね。もっと言っておやり」
 ハウルは荒地の魔女に胡散臭そうな視線を向ける。
 「マダム、こないだもそう言いましたよね? 実行したら一週間ほど、一緒に寝てくれなかったんですけど」


 それは二ヶ月ほど前。マルクルの誕生日にソフィーが焼いたケーキをハウルがべた褒めしたところ、ソフィーが黙り込んで
しまった。わけが解らずしょぼくれるハウルに、荒地の魔女が同じようなことを言った。実際、はじめのうちは恥ずかしそうに
顔を背けるものの、はにかんだように微笑うから、嬉しくなって愛の告白を続けたところ、いつもならハウルのベッドで一緒に
寝ていたものが、一週間近く『家出』ならぬ『部屋出』をされてしまったのである。


 そんなハウルに横槍を入れたのは、目玉焼きをほおばったマルクルだった。
 「えぇ、実行したんですか!?」
 ハウルはマルクルに一瞥をくれてから、荒地の魔女に向き直った。魔女は食後のパイプを燻らせながら、ニヤニヤとしている。
 「からかったつもりなんだけどねぇ。ソフィーのことになると盲目になっちまう。あんたの悪い癖だよ」
 それに追い討ちをかけるように、暖炉からカルシファーの声。
 「お前、ソフィーと一緒になってからバカになったなぁ」
 「うるさい!」
 ハウルはソフィーの作った目玉焼きにフォークをぷすぷすと突き刺して、いじけるように口を尖らせた。
 「だって」
 その先は、皆に聞こえないように、小さな声で呟く。
 「……ホントに大好きなんだ」








  そう、本当に、一年三百六十五日、二十四時間、一分一秒逃さずに、ソフィーに「好き」と伝えたい。


  でも彼女は女神のように博愛で、誰にでも優しくするものだから ――その代表がカブだけど!!
  僕はいつだって、やきもきしていなきゃいけない。


  きっとソフィーは恥ずかしがり屋なだけなんだ。今までひたすら帽子を作ってただけなんだし。
  そろそろ、僕の愛に慣れてくれたって、いいじゃない。









 ハウルはその日、一日中マルクルの勉強に付き合っていた。
その間、ソフィーは店番、荒地の魔女はヒンを連れて散歩に行ったり、ソフィーを手伝ったりしていた。
何事もない一日が過ぎて、ハウルはベッドに入る。
 ソフィーは一番最後に風呂に入るから、床につくのはもう少し後。時計の音だけがチクタクと響いて、本を読んでも
集中できず、ピンクの牛のぬいぐるみを並び替えたりしても、手につかなかった。
 「……ソフィーはまた一人で寝るのかなぁ……」
 気持ちを伝えすぎるのが、逆効果になるのはよく理解している。――前に女性にふられたのも、それが原因といっても
間違いではなかったから。
けれど、あんなに真面目で一途なソフィーだから、手を握っていないと誰かに盗られてしまいそうな焦燥を覚える。
 星色の綺麗な髪に、まっすぐな目。ぴんと伸びた背筋と、きびきびと動く華奢な体。こんなにも魅力的なソフィーに、
惹かれない男のほうがおかしい。――買いかぶりでなく、本当にそう思う。
 カブなんかは自分よりも裕福だし、紳士的だから、もしソフィーが自分に愛想を尽かしたら、きっとカブのところに
いってしまうに違いない。
 「だから……」
 だから、いつだってソフィーを想っているということを、伝え続けなければ、ソフィーを留め置くことができそうにない。









  初めてソフィーに出会った一年前――いや、もう十五年くらい前、そのときから、ソフィーのことが好きだった。

  臆することなく自分に接してくれる。長年体を蝕んでいた契約さえ、ソフィーに出会うためなら苦ではなかった。

  何度、ソフィーと出会う夢を見ただろう。


     だから、今は毎日が夢のようで仕方ない。きっといつか目が覚めて、埃だらけの部屋に一人きり。


  そんな気がしてならない。

  「ソフィー、君を愛してるよ」この言葉が、自分を今の毎日に繋ぎとめる呪文なんだ。





 そんなことを考えながら、部屋の天井を見つめていると、思いがけず部屋のドアが開いた。はっとしてドアのほうを見ると、
そこには他でもない、ソフィーが立っていた。
 ハウルがぽかんとしていると、ソフィーは無言でハウルの隣にもぐりこみ、ハウルに背を向けて布団を被った。
 「あの……ソフィー?」
 「……なに?」
 ソフィーの声は、何も考えていないようであり、また、すこし怒っているようでもあった。
おそるおそる話しかける。
 「もしかして、今朝のこと怒ってるの?」
 ソフィーはしばらく黙ったままだったが、急にくるりと向き直って、ハウルと顔を突き合わせた。
 「怒ってない」
 ソフィーはむっすりとそう言った。
 「え?」
 黙りこんだ二人は、しばらくそのまま、そしてソフィーがくすくすと笑い出した。
 「ええ?」
 すっかり困惑したハウルは、ただただ呆然としているしかなかった。ソフィーはひとしきり笑うと言った。
 「なんで怒ってるって思った?」
 そう聞かれて、ハウルは思ったことを素直に答えた。
 「いや……、人前であんな……その……愛、とか言ったから」
 ソフィーはむくりと起き上がった。ハウルの前髪を整えるように、額に触れる。
 「好きな人に愛してるって言われて、嬉しくない女がこの世にいるかしら」
 「それは……」
 「ごめんね、ハウル。気をつけようと思ってはいるんだけど……なんだか照れくさくって」
 「嬉しかった?」
 「うん」
 ハウルは気がついたようにがばっと起き上がった。
 「じゃ、じゃあ、前に一週間くらい、一緒に寝てくれなかったのは!?」
 「……ああ、あれね」
 ソフィーは苦笑いした。
 「やっぱり言いすぎは禁物だわ。ちょっと……ほんのちょっとだけよ、あなたを信じられなくなった」
 「そっかぁ……愛ってフクザツ」
 「そう? ――……でもね」
 見ると、ソフィーははにかんだように少し俯いている。
 「でも、やっぱりあたし、ハウルが好きだわ」
 そうしてハウルに向けた、ソフィーの笑顔。




  彼女に惹かれない男なんてきっと居ない。

  いつ、彼女が僕の腕からすり抜けてしまうか、心配で仕方ない。――今も、きっとこれからも。

  けれど今、少し安心した。



  きっとソフィーは、僕のところに居てくれる。

  この笑顔を見られるのが、僕だけである限り。











 「ソフィー、やっぱ君、最高だ!」


















おわり

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 自分的に、ハッピーエンドじゃない話は考えられない(笑)
このハウル×ソフィーに関しては。
でも、それで良いんだろうな。
二人が別れるのだって、片方が死んでしまうとかだって、
考えられないのですもの。


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